病院の検査で、桜子は病魔に冒されていることを知る。桜子は、お腹の赤ちゃんのことを考え、演奏会を断念せざるを得なくなる。しかし、出産は母体に負担をかけ過ぎるので考え直した方がいいと医師から言われた達彦は、悩んでいた。
達彦は店を野木山らに任せ、桜子に付きっ切りになるが、ある日、病院の診察で病状が悪化していることを知らされたのを機に桜子に出産を諦めてほしいと言う。桜子はこれに反発し、以来食欲や気力が無くなってしまう。
そんな桜子を見た磯は、女は死んでも子供を生みたいものだと達彦に意見する。達彦は、桜子とともに医師に相談するが、桜子の子供を産みたいという強い意志を感じ、産むことに同意する。
そんな折、冬吾たちは展覧会を開催。ところが、ある晩酔っ払って川に落ち、瀕死の状態に陥る。桜子が達彦の子供を身ごもっていることが判明した矢先、重病の結核に侵されていることが発覚した。達彦は出産に耐え切れないと判断し、桜子に子供をあきらめる様にと言う。しかし、必ず産みたいという桜子と家族の思いに心を揺さぶられた達彦は、桜子とともに出産と闘病の日々に臨む覚悟を決める。
そして1948年(昭和23年)3月、臨月を迎えた桜子は帝王切開によって男の子を出産。「輝一」と名付けられ、家族と喜びをわかちあう。しかし、同時に病状も徐々に悪化。夏も終わりに近づいたある日、達彦は西園寺(長谷川初範)の協力を得てラジオ放送で桜子の曲をピアノ演奏し、病床の桜子を励ます。
そして、達彦の演奏に感銘を受けた笛子(寺島しのぶ)たちは8ミリカメラを調達し、病気によって赤ん坊を抱くことができない桜子のために赤ん坊の笑顔を撮影。その映像を目にした桜子の心に様々な思いが。
「お母さんの人生には、素敵なことが山のようにあった。その中でも一番素敵なことはあなたのお父さんに出会えたこと、そして、あなたに出会えたことです。意味のない人生なんてない、輝きのない人生なんてない。寂しいときはピアノを弾いてごらん。お母さんはそこにおる。ほら、あなたのそばにおるよ」桜子は病床で作った「まだ見ぬ子へ」という曲とともに綴ったメッセージを通じて、自分の人生が儚くも輝きに満ちていたことをわが子に伝える。